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掘り出し物

先日、かなり懐かしい物を頂いた。
何度も書いているが、自分たちの年代が、今の時代で言うジュニアのクラスだった頃は、今のように鎧甲のようなサポーター類もなく、素手素足で試合をしてきた。
あるのは、ペラペラのヘッドギアだけ。


自分は小学校4年生の時に試合に初出場したが、訳も分からずパンチの連打をして、1回戦だけは勝つことができた。
自分をボコった茶帯の人は、今はどこで何をやっているかわからない吉田くんだ。
それ以降、試合には出場するものの中学校1年生までは1度も勝てませんでした。
今のように、体重でクラスを分けられたり、学年で分けられることもなく、小学生と言う1つのカテゴリーでしかなかった少年部での試合で、装着する防具はヘッドギアだけ。
中学生になると、ヘッドギアをした記憶もない位何もつけていない。
中学2年生の時に、初めて3位に入賞し、秋には1年生と2年生だけを対象にした新人戦が行われ、その時初めて優勝した。
もちろん死ぬほど稽古したし、当時は大学生もたくさん稽古に来ていたので、よく大学生に泣かされていた。
よく泣かされたのは、中坂先輩や藤部先輩が多かったと思う。
中学校3年生になった頃には、先輩から声がかかった事もあり、一般軽量級に初めて出場した。
この時は、数年後に4連覇するまだ黄色帯の岡田さんと初めて試合をした。
当然1回戦で負けたが、もし間違って岡田さんに勝つことができたら、2回戦の相手は廣富先生だった。
一般の試合に出て力差もあり、全日本クラスの先輩たちがワンサカ試合に出ているのに勝てるわけがないのに、負けた悔しさで中島スポーツセンターの裏側で悔し泣きをしてたのをなんとなく覚えてる。
それから間もなくの稽古のこと。
当時指導していただいてた外舘師範から
「キヨ悔しいだろう。高校生の新人戦に特別参加で出場しないか?」
と声をかけてもらい、迷うことなく
「出たいです」
と返事をして、軽量級の試合で負けてから1ヵ月後位に行われた高校生の新人戦に特別参加させてもらった。
特別参加と言うのは、中学3年生の自分が高校生の部に出場するからだ。
その試合のパンフレットの写真をいただいたのだが、正直言って試合をした相手は、2回戦で戦った斎藤くんと、準決勝でやった石塚くんと、3位決定戦で試合をした島田くんの記憶しか残ってない。
1回戦は緊張して空振りばかりしていた記憶しかないが、1回戦試合終わった後に、中坂先輩が笑いながら
「自分で回し蹴り蹴って転ばなかったら次も勝てると思うよ」
と話していたのは今でも印象に残っている。
何かの時に、準決勝で石塚くんと試合をしているときのビデオを見たときに、
「キヨ何やってんだ」
と言って言っている声が入った。
あの声は吉田先輩だったと思う。
僕の記憶が正しければ、その時の大会は栗山の体育館でやったと思う。
今その写真の自分を見て、身長はあまり変わってないが、体重だけ大きく変わったんだなぁと笑えてくる。

   

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