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寒さが教えてくれた時間

1月29日、午前5時30分。

スマホの天気アプリを見ると、気温はマイナス11度。

だが、体感としてはマイナス5度以内。

最近にしては比較的暖かく、特別寒いとも感じない。

暑くも寒くもない、その中間。

そんな不思議な朝だ。

この時間帯の寒い朝には、たくさんの思い出がある。

中学生の頃、小遣いを稼ぐために新聞配達をしていた。

冬のこのくらいの寒さの中、自転車をこいで新聞を配る。

まだコンビニなどなかった時代で、午後の紅茶のミルクティーが出始めた頃だった。

配達の途中、自動販売機で温かい午後の紅茶ミルクティーを買い、それを飲んで身体を温めた。

あの一口の温かさを、今でもはっきり覚えている。

この時間帯の記憶といえば、先日も書いた、黒帯への登竜門―幹部合宿も外せない。

朝のこの時間、深川神社の境内で座禅をする。

境内の扉を開け、賽銭箱を外に出し、扉は開け放したまま座禅が始まる。

深川の朝は、マイナス10度、マイナス15度が当たり前。

冷え切った神社の境内で、電気も消される。

真っ暗な中、冬の「寒い音」だけが、どこからともなく聞こえてくる。

少し風が吹けば、道着一枚の身体に容赦なく冷気が刺さる。

身体が震えないようにするために、ただひたすら集中する。

それが、自分との戦いだった。

6時になると、時報のサイレンが鳴る。

座禅の終盤、ぱっと電気がつく。

その明かりが、信じられないほど暖かく感じられた。

電球の光に、「ありがたい」と思える瞬間が確かにあった。

社務所の廊下を、高木師範が歩いてくる。

板がきしむ音が、寒さをさらに際立たせる。

気合を入れるため、全員の背中が叩かれる。

だが、痛みよりも、冷え切った身体の寒さの方がはるかに勝っていた。

全員の背中が叩き終わると、まもなく座禅が終わる。

それを分かっているからこそ、一瞬でも気を緩めると、身体が震え出して止まらなくなる。

最後まで身体が震えなかった。

その瞬間、「自分は勝った」と、確かに思った。

黒帯になってから職員をしていた頃は、座禅の写真を撮る役も務めた。

音を立てないよう、静かに歩く。

その時に感じる空気は、風がなくても、ただただ冷たかった。

余談だが、座禅の時には本当にいろいろな奴がいた。

懐に腕時計を忍ばせ、時間を確認する者。

道着の内側にカイロを貼る者。

分からないように靴下を履く者。

音を立てないようにしたはずの“透かしっ屁”が響き、黒帯の審査を落とされた者もいた。

寒さの中の座禅では、両足を裾の中に入れ、道着の前垂れに手を差し込み、少しでも肌の露出を減らす。

寒さを凌ぐための知恵が、そこにあった。

社会人になってからは、名寄市の支店で営業所長をしていた。

そこで経験した一番の寒さは、マイナス30度の朝だ。あれは寒いというより、痛い。

名寄では、朝マイナス30度になることも珍しくなく、日中になっても気温が上がらず、一日中マイナス30度という日もある。

当時乗っていた車は、一日中エンジンをかけっぱなしにしていても、車内が暖かくならなかった。

そんな経験も、何度もした。

それに比べれば、今日の朝の寒さは、どこか心地良いとさえ感じる

   

 - 日記